アート

フェルナン・レジェ

絵画のみならず幅広い分野で創作活動を行い、ありあまる才能を世に知らしめた天才。

フェルナン・レジェは森の裸体・トランプ遊び・三人の女性・大パレードなどの代表作を持つフランスのキュビムス画家。当初はピカソやブラックと同じくキュビムスの作風だったが、年月と共に独自の様式へと路線変更していった。絵画のみにとどまらず、版画・陶器・映画・舞台装置など幅広い分野において作品を残した。

代表的な作品

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レジェは1881年にフランス・ノルマンディー地方内陸部のアルジャンタンにて生まれた。16歳の頃から建築家のカーンの下で修行を始め、19歳でパリへと出ていく。パリでは仕事をする傍らで美術学校やアカデミー・ジュリアンに通い才能を磨いていた。

当時の作品は印象はの様式であったがこの頃から独自の作風を求めて模索していたという。

人生のターニングポイントとなったのが1907年にパリで開催されたセザンヌの回顧展。これに大きな刺激を受けたレジェはキュビムスに参加することに。
その後有力な画商であったカーンワイラーに認められ、個展を開催。その後専属契約を結ぶに至る。

1912年ピュトーグループに参加する。このグループはキュビムスが軽視していた色彩の復活。キュビムスのさらなる発展を目的としていたがあまり長続きはせずに終わってしまう。このような運動にも積極的に参加していたレジェはこの頃から抽象絵画とまた違う、独自の様式を確立していくことになる。

1914年から3年間レジェは第一次世界大戦において従軍していた。この経験もレジェに大きな影響を与えることとなる。大砲や兵器の機能美に魅せられたのである。その影響からか、独自の様式を確立していたレジェはこれ以降、人物と機械を共に描いた作品が多くなる。ごく自然の美しい風景を描くよりも、人間そのものや機械文明に関心の多くが向けられていることがわかる。

第二次世界大戦後には壁画・ステンドグラス・陶器・書物・版画・舞台装置など多くの分野で作品を残していった。

国連のホールにはレジェの壁画が寄贈されており、世界的に認められた芸術家ということがわかる。また、1960年にはフランスのビオットという村にフェルナン・レジェ美術館が建立された。この開館式にはピカソやシャガール、ブラックなどの大物が出席しレジェを祝った。

晩年には71歳で弟子のナディアと再婚し、3年後に亡くなっている。74年の生涯だった。

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