幻想的な世界を描く孤高な印象派の画家
オディロン・ルドンはフランスの有名な印象派画家である。通常の印象派は街の様子の一コマやありふれた風景など、日常生活の一部をリアルに描くのに対し、ルドンは印象派でありながらも自身の内側に抱いている幻想の世界を描くという違いある。
そのためか印象派にありながら独自の路線をいくことが多く、孤高な印象派の画家というイメージが強い。
なお弟のガストン・ルドーは後世に作品を残すような建築物を作った著名な建築家であった。
ルドンの主な作品
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オディロン・ルドンは1840年4月20日にフランスの大都市ボルトで誕生した。本名はベルトラン=ジャン・ルドン。よく使用される「オディロン」というのは自身の母の通称を少し変えたものである。本人も本名よりもこちらの通称の方が気に入ってたらしく、よく好んで使っていたという。
幼少期から親元を離れて地方で過ごすという生活をしており、そこで絵画に興味を持ちさまざまなことを絵に描くようになった。20歳のときには植物学者のアルマン・クラヴォーと出会い、植物学について学んだ。ここで学んだ植物学はオディロンの作風にも現れている。
そして24歳の時にパリへ出たオディロンは放浪の銅版画家であるロドルフ・ブレダンと出会い絵画の指導を受ける。さらに34歳のときには石版画家のアンリ・ファンタン=ラトゥールと出会い、石版画について指導を受けた。
これらの経験をもとにオディロンは初の石版画集である「夢の中で」を出版。そこには人間の顔のようなものがある植物や笑っているように見えるクモなど個性的かつどこか愛嬌のある作品たちがたくさん登場している。
オディロンが36歳の時にカミーユ・ファルグという女性と結婚をしている。40歳のときには長男が誕生したが生後半年でなくなってしまう。このときのオディロンの落ち込みは相当なものであり、その期間に作られた作品は鬱々としたものが多い。だが3年後に次男が誕生すると作風が一転、今度は明るい作風のものが多くなり色彩もまた豊かになっていった。
65歳のときにレジオンドヌール勲章を受章。さらに74歳のときにはアメリカのアーモリーショーに作品の展示が認められ、自身のために用意された一室に様々な作品を展示した。
そして1916年、抱えていた風邪が悪化したことにより、パリにある自宅で命を落とすことになる。享年76歳であった。
じつはこのときは第一次世界大戦中であり、招集されていた次男が行方不明になっていた時期でもあったので、心配な心持ちの中でなくなるという悲しい最期でもあった。