シンプルさを追求していったストイックな抽象画家
ピエトモンドリアンは20世紀初頭に抽象画を描いていたオランダ出身の画家である。
同じ抽象画であっても、表現主義な流れをくむ「熱い抽象」の作風として有名だったガルデンスキーとは対照的に、モンドリアンの作風は「冷たい抽象」と呼ばれていた。
作品を作った時期にもよるが、画面に垂直な線と平行な線や赤・青・黄色の3色、あるいは白・黒・灰色の3色を用いたシンプルな絵画をよく描いていた。
モンドリアンの主な作品
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モンドリアンが1872年に、オランダのアメルスフォールトで誕生した。 幼少の頃から絵画に興味を持ち、おじに郊外まで連れていってもらい、そこで見たさまざまなものをスケッチするという生活をしていた。
20歳になったモンドリアンはステルダム国立美術アカデミーに入学し、伝統的な美術教育を受けた。 今でこそシンプルなデザインをしている絵画が有名であるが、「色や線が独立し自由に語ることができるように試みたい」と当時のモンドリアンは語っていたように、この頃に作られた作品は色彩豊かなものが多い。
オランダで活動をしていたモンドリアンであったが39歳の時にキュピスムの作品に深い感銘を受け、その画家たちが多くいるパリへ赴くことを決心する。40歳から42歳までパリに滞在し、キュピスムの理論に従ってを多くの作品を生み出していった。だがキュピスムを理解していくうちに「キュピスムは論理的帰結をなし得ていない。純粋なリアリティを表現するためにはさらなる抽象化が必要だ」と思うようになり、作風も徐々に変化していった。
42歳のとき父親の病気のことを知ったモンドリアンはオランダへ一時的に戻ることになる。だがこのタイミングで第一次世界対戦が勃発してしまい、しばらくオランダにとどまることになった。このときにモンドリアンは「新造形主義」という新しい理論と出会うことになる。
心臓系主義の影響でこの頃には、幾何学化や単純化されたものや、上下左右の線のみで構成されているもの、特定の三色と四角形だけで作られている作品など、抽象化を徹底的におこなった作品が多い。
また抽象化されるとデザインの種類が少なくなると思ったからなのか、額縁のない作品やキャンパスを45度傾けた作品なども作成しており、さまざまな創意工夫をしていたことがうかがえる。
70歳となったモンドリアンは、ここで生涯初となる個展を開き、さらにニューヨーク近代美術家が自身の作品である「ブロードウェイウキウキ」を購入したことにより、社会的な評価も高まっていった。そうしたことを受けてより自身の理想とする絵画を作り上げようとしたモンドリアンだったが、72歳のときに風邪をひき肺炎を発症したことにより亡くなってしまう。