アート

マウリッツ・エッシャー

ありえない世界を生み出してきた版画画家

マウリッツ・エッシャーはオランダの画家、正確には版画家である。

「上昇と下降」に代表されるように建築不可能な構造物や無限を有限のように表現したものなど、独創的かつ数学的な版画をたくさん残している。

エッシャーの主な作品

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1898年6月17日オランダのレーワルデンにて5人兄弟の末っ子としてエッシャーは誕生した。土木技術者だった父の影響からかエッシャーも13歳まで土木技術について学んでおり、18歳になってからはハールレムの学校に通って建築と装飾美術についても学ぶことになる。この時期に美術家のサミュエル・メスキータに才能を見出され絵画についても学ぶこととなった。

32歳になったエッシャーはローマに移り住み、風景画の名作「カストロバルバの風景画」を生み出した。その後は海に興味を持つようになり、自分でスペイン南部の沖合を船旅でまわるという計画を立案。船会社に対して旅先で作った版画を船賃代わりに計画を実現できないか依頼したところ、船会社は了承してくたことで実現することができた。このときエッシャーは48枚もの版画を制作し船会社に船賃として渡したという。その中には 「貨物船」など後世になの知られる作品も含まれている。

エッシャーの作風が変わるようになったのは39歳の時のこと。結晶学者であった兄が持っていた学術書「結晶学時報」という本を読んだことがきっかけである。
「結晶学時報」には繰り返し模様に関する論文などが記載されており、その影響をエッシャーは受けて「メタモルフォーシス1」や「昼と夜」「循環」など結晶学の要素が組み合わさった作品が生まれるようになる。
ただし、通常の風景画も引き続き制作しており、同時期に「水たまり」「三つの世界」など作品も発表している。

エッシャーは結晶学や数学理論に関しては素人であったことから、「素人理論」というノートに、自分なりの解釈をした平面の正則分割などについて記載をしている。また60歳のときには「平面の正則分割」という資料を作り出し、自分自身で調査してまとめた理論などを、他の人でもわかるように詳しく解説している。

晩年になっても様々な作品を生み出したエッシャーだが、体の衰えや不調は隠しきれず71歳のときに養老院に入ることになり、2年後の73歳のときにその養老院でなくなってしまう。身辺整理をしていた遺族が新しい作品の草稿が数枚発見しており、体は衰えても創作意欲が生涯衰えることはなかった。

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