ドラマのように衝撃的なラストが持っている画家
レイモン・ジョルジュ・イヴ・タンギー(Raymond Georges Yves Tanguy 1900年1月5日-1955年1月15日)はフランス出身の画家で、元々は軍隊にいました。
退役後に絵画に目覚め、絵画の教育を受けずに独学で描き続けたシュルレアリスムの一人です。
作画としてはよく分からないもの、説明しづらいものが特徴的です。
基本的にはシュルレアリスム(超現実的な世界)を表現するので、実際には存在しない想像の物体が描かれています。
代表的な作品
もっと詳しく!
タンギーはパリで生まれ、父親は元軍人で7歳のときに亡くなっています。
母親とはフランスの西端のロクロナンという遺跡が存在している地域で育ちました。
そして18歳のときに、水夫見習いとして貨物船に乗って航海に出ます。
ヨーロッパやアフリカを回り、20歳のときにチュニジアの軍隊に入隊します。
この入隊中に、シュールレアリスムの詩人ジャック・プレヴェールと出会います。
2年後に軍隊を除隊したタンギーはプレヴェールと彼の友達と一緒に暮らし始めます。
そして、ここからタンギーの絵画人生が始まります。
ある日バスの中から見えた一つの絵画に衝撃を受け、画家を目指すようになります。
その絵はキリコ作「子共の脳」という作品だと言われています。
画家を目指したタンギーは独学で絵画を描いていきますが、このときプレヴェールの紹介で他のシュルレアリスムの画家たちと交流を深めていきます。
26歳ぐらいから「よく分からない物体の絵」を描き始めて27歳のときにはシュールレアリスム画廊で初めて個展を開きます。
ちなみにこの年に彼は1回目の結婚をします。
そこから彼はパリを離れ、アフリカを旅行し魅了されます。
こういった幼いときに見た遺跡の様子や、アフリカ大地の魅力などが相まって彼の独特な物体描写が存在していると考えられます。
彼が37歳のときハインツ・ヘンゲスという彫刻家から後に2番目の妻となるケイ・セージを紹介されます。彼女はアメリカ人でシュールレアリストです。
そして39歳のときに第二次世界大戦が起こり、彼はアメリカに亡命します。
いつ前の奥さんと別れたかは分かりませんが、亡命の翌年にはセージと結婚します。
ここから彼の最後の時期が始まります。
アメリカで活動を始めたタンギーは母国以上の人気を博します。
主に若い世代の人たちに受け入れられて、様々なアーティストが影響を受けました。
ただ、その活躍もある日突然終わってしまいます。
まさかのベッドから落ちてしまい、脳出血で突然他界してしまったのです。
残されたセージはそこから8年かけてタンギーの作品463点をまとめあげた後、ピストルで自殺してしまいました。
画家として絶頂の最中に死んでしまったタンギー、それを追うかのように彼の功績をまとめあげた後に自殺したセージ。
まるでドラマのような画家ですね。