風景画家になりたかった肖像画家
トマス・ゲインズバラ(1727-1788)は生涯で700点以上の肖像画を描き、今では肖像画家として名を残しているが、自身が好んで描いたのは自然をを描写する風景画だった。
特に故郷サフォークの田園風景を愛しており、「肖像画は金のため、風景画は楽しみのために描く」という言葉が伝えられている。
代表的な作品
犬好きだったゲインズバラは、多くの作品に犬を描きこんでいる。《トリストラムとフォックス》は自身のペットを描いた作品。
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1727年、ロンドン北部のサフォークに生まれる。幼い頃から素人画家の母親の教えで絵を描いていた。13歳でロンドンに出て、フランス人の挿絵画家ユベール・グラヴロに入門。グラヴロは、ロココの最盛期に活躍したフランソワ・ブーシェに学び、イギリスにロココを広めるのに一役かった人物である。そのためゲインズバラの作風にも、繊細で軽快なロココのスタイルが現れている。
18歳で独立したものの、風景画で食べていくことはできず、上流階級層の肖像画を制作していた。伯爵の庶子マーガレット・バーと結婚したことで金銭的な援助を受けられるようになるが、絵画の仕事は少なかった。
1748年、故郷に戻って描いた「アンドリュー夫妻像」が出世作となる。この作品は、地元の名士の結婚を記念して描かれた夫婦の肖像だが、画面の半分以上を風景が占めている。このように理想化した風景の中に人物を描くのはゲインズバラの特徴的な手法で、「ファンシー・ピクチャー」と呼ばれる。
肖像画の注文を受けたパトロンたちのコレクションに触れながら、ピーテル・パウル・ルーベンス、アンソニー・ヴァン・ダイク、バルトロメ・エステバン・ムリーリョら、優雅で気品のある作風の巨匠たちに影響を受けた。また、ジョン・コンスタブルに大きな影響を与えたと言われる。
1768年にはロイヤル・アカデミーの設立メンバーとなり、1777には50歳にして初めて王族の肖像画を依頼される。ジョージ3世に気に入られ、しだいに名声を確立したゲインズバラだが、当時同じく肖像画で人気を博していたジョシュア・レイノルズに一歩及ばなかった。
アカデミーの初代会長を務めたレイノルズとの関係が悪化してからは、アカデミーと距離を置き自宅で個展を開催。61歳で世を去った。