人から分かる3分美術史

3分でわかる木島櫻谷(人から分かる3分美術史193)

木島櫻谷。1877年生まれ。明治から大正にかけて画家であり、「最後の四条派」として知られます。

櫻谷は、明治10年に京都三条の室町に生まれました。
櫻谷の家は高級家具を扱う商人であり、画家や茶人が通う文化的な家庭にありました。また、近所には幸野楳嶺や森寛斎の画塾があり、櫻谷は幼い頃から絵に興味を示したと言われます。
櫻谷ははじめ、父親の勧めにしたがい商人を志しました。しかしそれは長続きせず、15歳の頃に父親が亡くなると学校を辞め、四条派の画家である今尾景年に弟子入りします。

景年は京都画壇の伝統である写生を重視した花鳥画で知られていました。その頃の櫻谷もそれを踏襲しつつも、小堀鞆音の影響を受けて歴史画を好んだと言われます。
櫻谷の初期の作品が「剣の舞」。1901年、櫻谷24歳頃の作品です。景年の画塾を修了したのち、後輩を指導する立場であった頃の作品です。
20代の中頃になると、櫻谷は洋画家の浅井忠と知り合いました。櫻谷は浅井の元に通い、洋画の技術や空間構成を学んだと考えられます。
これ以後櫻谷は、京都画壇の俊英の一人として、頭角を現していきます。

櫻谷の作品を見ていきましょう。
「しぐれ」。1907年、櫻谷30歳頃の作品です。
「雪中梅花」。1918年、櫻谷41歳頃の作品です。琳派に倣った装飾的な屏風絵ですが、写実的な樹木の描写がユニークなものとなっています。

1938年、櫻谷は交通事故により62歳で亡くなります。それまでに、京都四条派の伝統を受け継いだ大作家として評価され、「最後の四条派」「大正の呉春」と呼ばれました。現在においても、大正期における京都画壇の重鎮の一人として知られています。

以上!

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