人から分かる3分美術史

3分でわかる喜多川歌麿(人から分かる3分美術史203)

江戸時代中期の浮世絵師であり、美人画の第一人者として知られる喜多川歌麿を紹介します。

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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日は喜多川歌麿について勉強していきましょう。

喜多川歌麿。1753年頃の生まれ。江戸時代中期の浮世絵師であり、美人画の第一人者として知られます。

歌麿は、9代将軍家重統治下の宝暦3年頃に生まれました。歌麿の生まれ育ちはわかっていません。江戸か川越の生まれだと考えられています。
歌麿は、はじめ狩野派の画家である鳥山石燕に入門しました。そこで石燕との仕事を通じて修行したのち、浮世絵師として独立しました。
歌麿の初期の作品が「佐藤四郎兵衛忠信」。1770年代後半、歌麿20代の頃の作品です。20代の頃の歌麿は、芝居を題材とした役者絵や武者絵を描きましたが、概して目立たない作家であったと考えられます。
歌麿の転機となったのは、新興の版元であった蔦屋重三郎に見出されたことでした。蔦屋は、1777年に版元として独立すると、北尾重政や鳥居清長ら美人画の浮世絵師の作品を扱いはじめました。歌麿と蔦屋の出会いは定かではありませんが、歌麿は蔦屋のもとで美人画絵師として勇躍することとなります。

歌麿の作品を見ていきましょう。
「寛政三美人」。1793年、歌麿40歳頃の作品です。それまでの美人画は全身を描いたものが一般的でしたが、歌麿は上半身のみを大きく切り取った「大首絵」の様式を広めました。
「深川の雪」。1806年、歌麿53歳頃の作品だと考えられる肉筆画です。

1806年、歌麿は54歳で亡くなります。後年になると、寛政の改革の影響により娯楽が厳しく制限され、人気絵師であった歌麿はその標的となりました。現在においても、江戸期における美人画の第一人者として知られています。

以上!

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