人から分かる3分美術史

3分でわかる野口小蘋(人から分かる3分美術史132)

明治の南画家であり、女性最初の帝室技芸員として知られる野口小蘋を紹介します。

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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日は野口小蘋について勉強していきましょう。

野口小蘋。1847年生まれ。明治の南画家であり、女性最初の帝室技芸員として知られます。

小蘋は、12代将軍・徳川家慶統治下の弘化4年に、大阪難波で医者の娘として生まれました。幼い頃より詩や絵画に親しみ、8歳で四条派の画家である石垣東山に入門します。
小蘋16歳のおり、家を売り払って一家で北陸へ旅に出ますが、旅先で父親が死去。小蘋は家族を養うため、絵を売って生計を立てることとなります。
その頃の作品が「知春園雅集図」。1862年、小蘋16歳頃の作品であり、小蘋が一昼夜で1000枚の絵を描いたという逸話を、自身で描いています。
1867年、京都に居を移した小蘋は、文人画家の日根対山に入門し、山水画と花鳥画を学びました。そこで日下部鳴鶴、巖谷一六ら文人たちや、木戸孝允ら活動家たちと親しくなりました。
明治4年となる1971年、32歳ごろの小蘋は東京に移住。そこでは、のちに小蘋ともに明治女流画家の双璧と呼ばれるようになる、奥原晴湖と知り合っています。
1877年には実業家の野口正章と結婚。しかし正章の事業が失敗したため、小蘋は引き続き、職業画家として旺盛に活動を続けました。

小蘋の作品を見ていきましょう。

「青緑春山僊陰山水図」。1897年、小蘋49歳ごろの作品です。伝統的な画題ながら、立体的な特徴のある描写となっています。
「溪山清趣図」。1912年、小蘋64歳ごろの作品です。

後年の小蘋は展覧会出品などで受賞を重ね、関東を代表する南画家の一人として認められるようになります。1904年には女性として最初の帝室技芸員に着任。1917年に71歳で亡くなるまで、大きな存在感を発揮し続けたのでした。

以上!

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