若くして戦死したドイツの画家であり、青騎士のメンバーの一人として知られるアウグスト・マッケを紹介します。
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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日はアウグスト・マッケについて勉強していきましょう。
アウグスト・マッケ。1887年生まれ。若くして戦死したドイツの画家であり、青騎士のメンバーの一人として知られます。
マッケは、ドイツ帝国北西部のメシェデに生まれました。父は日曜画家であり、マッケもその影響を受けて育ちます。
また、マッケは13歳の頃に象徴主義の画家アルノルト・ベックリンの作品に出会い、大きな影響を受けました。
1904年、17歳のマッケはデュッセンドルフ美術アカデミーに入学。
この頃の作品が「自画像」。暗い色彩と重苦しい人物描写が特徴です。
卒業後、マッケはセザンヌの作品に感銘を受けたことで、ドイツ印象派のロヴィス・コリントに師事しました。
その頃の作品が「帽子をかぶる妻の肖像」です。打って変わって、印象派の影響を色濃く受けた画風となっています。
1910年、マッケは新ミュンヘン美術家協会のフランツ・マルク、ワシリー・カンディンスキーと出会います。
翌年にマルクとカンディンスキーが新ミュンヘン美術家協会から脱退すると、マッケは彼らとともに芸術雑誌「青騎士」の立ち上げに参加。その前衛芸術運動に参加します。
マッケは青騎士の中で、パウル・クレー、ロベール・ドローネーらと知り合い、共に活動しました。
マッケの作品を見ていきましょう。
「小道の眺め」。マッケはクレーらとともにチュニジアを旅行し、その中で描かれました。セザンヌやキュビスムの影響を受けた構成的な画面が特徴です。鮮烈な色使いは、ドローネーの影響と言われています。
「別れ」。マッケ最後の作品であり、戦争に向かう男性たちとその家族を描いています。人物は顔を描かず抽象的に表現されているのが、晩年のマッケの特徴です。
1914年、サラエボ事件を端緒として第一次世界大戦が勃発。マッケはドイツ帝国軍の歩兵として徴兵され、間も無く27歳で戦死。のちにマルクも戦死し青騎士も解散しましたが、彼らの活動は大きな影響を残したのでした。
以上!