人から分かる3分美術史

3分でわかるクルト・シュヴィッタース(人から分かる3分美術史97)

ドイツの芸術家、詩人であり、インスタレーションの先駆者として知られるクルト・シュヴィッタースを紹介します。

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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日はクルト・シュヴィッタースについて勉強していきましょう。

クルト・シュヴィッタース。1887年生まれ。ドイツの芸術家、詩人であり、インスタレーションの先駆者として知られます。
シュヴィッタースは、ドイツ北部のハノーファー市で服屋の息子として生まれました。
ドレスデン美術大学で印象派の画家であるカール・バンツァーらの指導を受けた後、後期印象派の画家として活動をはじめ、1911年には個展を開催。
しかし第一次世界大戦がはじまり、ドイツが厳しい立場となっていくると、シュビッタースの作風は表現主義的な傾向に変わっていきます。また、戦時中にシュビッタースは製図工として働くなかで、「私は機械を愛する、機械は人間を抽象化したものだ」と考えるようになりました。
1918年、シュビッタースは詩人のヘルヴァルト・ヴァルデンと知り合います。ヴァルデンは美術雑誌「デア・シュトゥルム」と、同名の画廊「デア・シュトゥルム」を運営しており、シュビッタースはヴァルデンを通じてラウル・ハウスマン、ハンナ・ヘッヒ、aら同世代の前衛芸術家たちと知り合うようになります。
この頃の作品が「Und絵画」。ジャン・アルプの影響を受けた抽象的なコラージュであり、シュヴィッタースが「メルツ絵画」と名付けた作品群の一つです。メルツ絵画はシュヴィッタースが日常の中で見つけた雑誌などをもとに作られ、「心理学的コラージュ」とも言われます。
戦後の1919年、シュヴィッタースは画廊デア・シュトゥルムでメルツ絵画を中心とした個展を開催。リヒャルト・ヒュルゼンベックやハウスマンらベルリン・ダダとは対立しますが、トリスタン・ツァラらチューリヒ・ダダの雑誌に作品を掲載するなど、ダダイズムとも密接に活動を行いました。
1923年には雑誌「メルツ」を発行。それを通じてロシアの構成主義を代表する画家であるエル・リシツキーと交友を深め、影響を受けました。

シュヴィッタースの作品を見ていきましょう。

「メルツバウ」。1923年から製作され始めた建築作品であり、部屋全体に構成主義的な造形がなされています。ナチス・ドイツ軍によって「退廃芸術」として破壊され現存しませんが、インスタレーションの先駆であり、歴史的に重要な作品と考えられています。

その後のシュヴィッタースはナチスの弾圧に遭い、ドイツを脱出。戦火を逃れながら住居を転々とし、第二次大戦後の1948年、イングランドで60歳で亡くなります。
死後その作品は、エド・ルシェやロバート・ラウシェンバーグら、ネオダダやポップアートの作家たちに大きな影響を与えたのでした。

以上!

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