人から分かる3分美術史

3分でわかるアルフレッド・スティーグリッツ(人から分かる3分美術史159)

アメリカの写真家であり、近代写真の父として知られるアルフレッド・スティーグリッツを紹介します。

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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日はアルフレッド・スティーグリッツについて勉強していきましょう。

アルフレッド・スティーグリッツ。1864年生まれ。アメリカの写真家であり、近代写真の父として知られます。

スティーグリッツは、16代大統領エイブラハム・リンカーン時代のアメリカ合衆国、ニュージャージー州のホーボーケンに生まれました。
両親はドイツ出身の移民であり、衣類の卸業を営む裕福な経営者でもありました。
1871年にニューヨーク州マンハッタンに移住。続いて1881年、スティーグリッツ17歳の頃に、その家族は優れた教育を受けるため、ドイツに渡ります。
スティーグリッツはベルリン工科大学に入学し、機械工学を学びました。
そんななか、スティーグリッツはある日、写真機材を購入します。
スティーグリッツは、すぐに写真に熱中しはじめました。大学の学科も光化学科に変えて、光化学者で初期の重要な写真家でもあったヘルマン・ヴィルヘルム・フォーゲルの指導を受けました。
スティーグリッツの初期の作品として知られるのが「最後の冗談、ベラージオ」。1887年、スティーグリッツ23歳ごろの作品です。本作は、写真家のピーター・ヘンリー・エマーソンから優れた自然主義の作品として高く評価されました。
1890年、26歳のスティーグリッツは、妹が亡くなったことをきっかけにアメリカに帰国しました。
そこでスティーグリッツは、アメリカの写真業界がヨーロッパからはるかに遅れをとっていることに衝撃を受けます。
それから間も無くの作品が「冬、5番街」。1893年、スティーグリッツ29歳ごろの作品です。本作でスティーグリッツは、写真が場所の雰囲気をも表現できるメディアであると示したと云われます。
その後のスティーグリッツは、優れた写真家としてアメリカの写真芸術を先導し続けました。1905年にはニューヨークに291ギャラリーを開廊。291ギャラリーは芸術写真だけでなく、ロダンやピカソ、ブランクーシをはじめとしたヨーロッパの前衛芸術を紹介する、重要な拠点となりました。

スティーグリッツの作品を見ていきましょう。
「人間の手」。1903年、スティーグリッツ39歳ごろの作品です。
「等価」。1930年、スティーグリッツ66歳ごろの作品です。

1946年、スティーグリッツは82歳で亡くなります。
スティーグリッツは芸術写真だけでなく前衛芸術をアメリカに根付かせ、多大な影響を与えました。現在においても、近代写真の父として知られています。

以上!

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