筆触分割技法に光学的理論を取り入れ、点描という技法を確立させたフランス画家。ジョルジュ・スーラ。
ジョルジュ・スーラは新印象派に分類されている19世紀に活躍したフランス出身の画家で、作品を完成させるまでに入念に構想を練り多くの下絵や素絵を制作する方法を取っていた。
代表作としては、グランドジャット島の日曜日の午後・アニエールの水浴・サーカス・ポーズする女などが世界各地の美術館に展示されている。
代表的な作品
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ジョルジュ・スーラは1859年フランスのパリに生まれる。19歳で国立美術学校に入学。
1883年にサロンに素描が入選する。
この頃からのちに世界的高評価を得る大作、アニエールの水浴の製作を始めたとされる。
アニエールの水浴に描かれている人物の肌は伝統的な技法を用いて描かれているが、部分的には点描も使われている。
スーラの作品の特徴としては多くの下絵や素描を製作し、その後、全体の構図や人物のポーズ、モチーフ、配置などを細かく綿密に研究して仕上げる特徴がある。
彼の代表作であるこのアニエールの水浴は1884年に完成。その後のすぐにグランドジャット島の日曜日の午後の制作に着手する。この作品は五十人もの人物を点描で描いている異例の作品で、第8回印象派展で大きな話題を呼んだ。
スーラの生涯において代表的な作品を挙げるとするとこの2点が挙げられるだろう。
スーラはシャルル・アンリの科学的美学入門に多大なる影響を受け、線の特性や比例関係にある象徴的な意味も作品に付け加えるようになった。
スーラを熱烈に支持したのはフェリックス・フィオネンという美術批評家だった。
そのフィオネンがスーラの作品に感銘を受け、スーラを新印象主義と名付けたとされている。
スーラはごく平凡な家庭に生まれ正当派の美術を学んだ。人生においても波乱のない穏やかなものだった。その人生のようにスーラ本人も寡黙で穏やかな性格をしていたとされている。
また、人に自分の私生活などを話したがらない秘密主義の男でもあった。死ぬ直前の内縁の妻との子供が生まれるが、そのことについても実母に言わないほどの秘密主義。
1891年31歳という若さで亡くなっている。死因は特定されてはいないが、狭心症・ジフテリア・肺炎などが考えられる。またはその複数の病気を併発したことによる病死。
革新的な技法を使って残した数々の作品は広く世界中で高い評価を受けている。短い生涯であったが彼が残した功績は偉大だったと言えるだろう。