新古典主義と近代絵画を繋ぐ画家として知られるドミニク・アングルを紹介します。
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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日はドミニク・アングルについて勉強していきましょう。
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル。1780年生まれ。フランスの画家であり、新古典主義と近代絵画を繋ぐ画家として知られます。
アングルは、ルイ16世時代のフランス、モントーバンに生まれました。
父親のジャン=ジョゼフ・アングルは絵画、彫刻、建築、音楽などを手掛ける芸術家であり、息子のアングルも幼い頃より芸術家としての教育を受けました。
11歳から、父親が会員を務めるトゥールーズの美術アカデミーに入学。新古典主義の画家であるギョーム・ジョセフ・ロックに師事しました。そこでアングルはロックの指導のもと、ラファエロから強く影響を受けたといわれます。
続いて1797年、アカデミーを卒業した17歳のアングルは、ジャック=ルイ・ダヴィッドに入門しました。
アングルの初期の作品が「リヴィエール嬢の肖像」。1805年、アングル25歳ごろの作品です。
清潔なルネサンス風の肖像画ですが、人形のように生気が無く、身体はデフォルメされています。ダヴィッドからは「奇妙」だと酷評されました。
アングルの人物画は、それまで重視された解剖学的な正しさから、絵画平面としてのフォルムの理想化を目指し、デフォルメされました。
引き続き、アングルの作品を見ていきましょう。
「ルイ13世の誓願」。1824年、44歳の作品です。この時期、ウジェーヌ・ドラクロワを中心とするロマン主義の画家たちが勢力を強めていました。それに対してアングルは、本作で評価を固め、ロマン主義に対する新古典主義の中心人物と見做されるようになります。
「ドーソンヴィル伯爵夫人の肖像」。1845年、アングル65歳ごろの作品です。アングルは鏡を用いた肖像画を数多く描きました。
1867年、アングルは83歳で亡くなります。アングルの生きた時代は、1789年からはじまるフランス革命の只中であり、ダヴィッドはナポレオンの側近を務めるなど、芸術家たちは時代の流れに強く影響を受けていました。対してアングルは、生涯にわたって政治から距離をとり、画業に専念し続けました。
その作風はドガやルノワールをはじめとしたのちの作家に影響を与え、現在においても、19世紀前半の絵画潮流の中心人物の一人として、また、新古典主義と近代絵画を繋ぐ画家として評価されています。
以上!