フランスの画家であり、フォーヴィスムの代表的な作家として知られるアンリ・マティスを紹介します。
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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日はアンリ・マティスについて勉強していきましょう。
アンリ・マティス。1869年生まれ。フランスの画家であり、フォーヴィスムの代表的な作家として知られます。
マティスは、ナポレオン3世統治下のフランス、北部の町ル・カトー・カンブレジで、商人の息子として生まれました。
マティスは、20歳になるまで法律を学び、法律事務所で働きました。そんななか虫垂炎を患い、1年間の療養をするなかで、画家を志すようになります。
1891年、22歳のマティスはパリのアカデミー・ジュリアンに入学。アカデミズム絵画の代表的な作家であったウィリアム・ブーグローに学びました。しかし当時のパリでは、印象派をはじめとした新しい絵画潮流が数多く登場していました。マティスもブーグローの作風には相入れず、独自の画風を築いていたギュスターヴ・モローの画塾に通うようになります。
その頃の作品が「読書する女」。1895年、マティス26歳ごろの作品です。
これからしばらくのマティスは、ポール・セザンヌやポール・シニャックらの影響を受け、様々な作風を試みました。
「豪奢、静寂、逸楽」は1904年、マティス35歳の作品であり、シニャックら新印象派の影響を強く受けています。
次第にマティスは、モーリス・ド・ヴラマンクやアンドレ・ドランと知り合い、共に制作するようになりました。
その頃の作品が「帽子の女」。1905年、マティス36歳ごろの作品です。一見して荒々しく、また、鮮烈な色彩が特徴となっており、批評家のルイ・ヴォークセルは、このようなマティスやドラン、ヴラマンクの作風を「フォーヴィスム(野獣派)」と呼びました。
引き続き、マティスの作品を見ていきましょう。
「ダンス2」。1910年、マティス41歳ごろの作品であり、代表作として知られます。徹底した単純化、躍動感、装飾性が特徴です。
「仮面のある装飾」。1953年、マティス84歳ごろの作品です。晩年のマティスは体の衰えもあり、切り絵を試みるようになりました。本作は幅10メートルにおよぶ大作であり、単純な色と形によって装飾的で構築的な空間を生み出しています。
マティスは、1954年に84歳で亡くなります。マティスの作品はアメリカの抽象芸術をはじめとして、以後の芸術に大きな影響を与えました。現在においても、マティスはフォーヴィスムの代表的作家であり、ピカソと並ぶ、20世紀を代表する大芸術家の一人の考えられています。
以上!