哲学

そもそも生きるとはどういう状態? 世界4大宗教の理想の生き方①

理想の生き方は人ぞれぞれ。価値観が違えば、何をもってベストな生き方と言えるかは全く違うだろう。価値観には宗教観も大きく影響する。今回は、世界4大宗教のうち、日本人に身近な仏教についてご紹介したい。あなたの生きる力のヒントになれば嬉しい。

日本人に最もなじみ深い!仏教の基本[1]

悟りを開くために、すべての物事をありのままに受け止める

ご存知の方も多いかもしれないが、仏教はインドとネパールの国境周辺で生まれた宗教だ。開祖・仏陀の教えをもとに書かれた膨大な「経文」が教典とされる。出家し僧侶となる信者と、在家のまま日常生活を送る信者がいる。出家・在家どちらの信者も、目指すものは「悟り」だ。

悟りに至るためには、「四法印」の真理を体得する必要がある。

四法印とは、仏教の世界観だ。全ての物事は思い通りにならず(一切皆苦)、万物は止まることなく変化しつづけ(諸行無常)、全ての事象は縁起・因縁から生まれ、独立単体の自我は存在せず(諸法無我)、煩悩を捨てることで心穏やかな涅槃(ねはん)の境地「涅槃寂静」にたどり着けるとされる。
物事をありのままに受け止める、というのが仏教の基本的なスタイルだ。

仏教徒が悟るための修行方法

日本人にとっては馴染み深く、生活に溶け込んでいる仏教だが、仏教徒は本来どのように修行を行い、悟りに近づこうとするのか、ご存じだろうか?実は「八正道」という日常生活の実践を経ることで、悟りの境地に近づけるとされている。

・正見(しょうけん)……正しく物事を見る
・正思惟(しょうしい)……正しく認識する
・正語(しょうご)……正しい言葉を使う
・正業(しょうごう)……正しい行いをする
・正命(しょうみょう)……正しい生活を送る
・正精進(しょうしょうじん)……正しい努力をする
・正念(しょうねん)……正しい反省をする
・正定(しょうじょう)……正しい精神統一を行う

これらを日常のなかで繰り返す。思考も行動もすべて意識的に行うことで、修行となっていると言えるだろう。なお、仏教では「中道」がよしとされている。何事もやりすぎず、怠けすぎず、ほどほどにするのが良いという考え方だ。

仏教の戒律は? どんなルールがあるの?

意外と厳しい! 仏教の「五戒」と「ハ斎戒」

仏教徒が守るべき規律として、有名なのは殺生をしてはいけないということではないだろうか。他にも出家の僧侶も在家の信者も守るべき戒律は存在する。(正確には「戒」と「律」は別々である)

・不殺生戒(ふせっしょうかい)殺生をしてはいけない
・不妄語戒(ふもうごかい)嘘をついてはいけない
・不偸盗戒(ふちゅうとうかい)盗んではいけない
・不邪淫戒(ふじゃいんかい)邪な男女関係をもってはいけない
・不飲酒戒(ふおんじゅかい)酒を飲んではいけない

これらが五戒であり、このほかあと3つの戒を加えて「八斎戒(はっさいかい)」とされる。

・不塗飾鬘歌舞聴戒(ふずしょくこうまんかぶちょうかい)
着飾り、香水をつけたり、歌舞曲を見たり聞いたりしてはいけない。

・不眠坐高広厳麗床上戒(ふみんんざこうこうげんれいしょうじょうかい)
床に敷いた寝具だけを使い、贅沢なベッドで寝てはいけない。

・不非時食戒(ふひじじきかい)正午過ぎにものを食べてはいけない。

五戒は、飲酒をする習慣はそもそもNGだし、殺生せずに食事を取ることも難しい。八斎戒となると化粧や、ベッドで寝ること、夕食を取ることなどでアウトになってしまうので、かなり厳しいと言えるのではないだろうか。

なお、八斎戒を破った場合は懺悔と反省をしなくてはいけない。
出家をするとさらに、男性(比丘)は250戒、女性(比丘尼)は348戒があり、加えて「律」と呼ばれる生活のこまかなルールも守らなくてはいけない。破った場合は段階に応じて「破門」などの罰則がある。

真の仏教徒になるのは、なかなか大変なように見える。なお、日本においては、浄土真宗など宗派によって戒律の解釈はかなり違う。比較的おおらかに扱われていると言えるだろう。

今を大切に生きる仏教徒のあり方

「色即是空」形あるものは無である

厳しい戒律を知ってしまうと、仏教を信じる生き方は厳しく辛いものに思えるかもしれない。しかし、実際は、戒律に則って暮らすことで、心豊かで落ち着いた日々を過ごすことができる。

仏教の中で、有名なフレーズといえば「色即是空 空即是色」ではないだろうか。「般若心経」の中に登場する、仏教の世界観を最も凝縮した言葉だと言える。「形あるもの、目に見えるものは、実体のない無である」「実体のない無は、形があり目に見える」という謎かけのような言葉だ。

前述のとおり、世界は全てのものが因果と縁起でつながっており、絶え間なく変わっている。今この瞬間、目にしているもの、触れているもの「色」は、時を経ればその場から消え去ってしまうかもしれない。つまり「空」、「無」と同じだ。それに対し、なぜ物事が目に見え、手に触れられる形を持つことができるのか。それは変幻自在な「無」から生まれるからだ。

例えば、とある観光名所に樹齢何百年にもなる銀杏の大木があった。毎年秋になると美しい黄金の葉を輝かせる姿は観光客を感動させていた。しかしある年、落雷が元で根元から折れてしまった。銀杏の姿はもうないが、その切り株からは翌年新しい芽が伸び始め、また新たな命が続いている。

あなたが目にするとき、それは大きな切り株から新芽が伸びているだけに過ぎないが、その瞬間に至るまでには常に変化をし続けていた。無機質に思われるパソコンもスマホも、永遠に使えるわけではなく、むしろ絶えず情報が更新されている。

目の前にあるものすべては、そのように様々なものと繋がり、移り変わっているのだ。

移り変わる世界の中で今の幸せを噛みしめる

さて、仏教の五戒・八斎戒には、ずっと昔を振り返って反省しようとか、一年の目標を立てて実行しようだとか、そういった戒律はない。連綿と続く生活の雑事のひとつひとつを、丁寧に正しく行おうというものばかりだ。

世の中は移り変わるもの、という考えのもと、今というこの時を大切にする仏教。「将来どうなるんだろう」という不安が起こりやすい世の中だからこそ、心を落ち着けて、丁寧に質素に生活をすることが大切かもしれない。今目の前にある幸せを見つけたのなら、それに感謝し、他人に思いやりをもった接し方をすること。また怠けず適度な努力をコツコツと続けていくのが、仏教徒として理想の生き方と言えるだろう。

日常は奇跡の連続。自分ひとりで生きているのではなく、生かされている

仏教的な観点から言うと、今日があること、いま生きていることは、当たり前のことではない。また、自分ひとりで「生きる!」と決めたから生きていられるのでもない。

さまざまな事象の奇跡的な因縁の果て、たまたま生かされているのだ。もし生きる意味があるとすれば、自分と同じように命あるものすべてにに思いやりを持ち、ありのままに繋がることに尽きるだろう。学校、職場、家族だけでなく、もっと広く周りとの繋がりに目を向ければ、おのずと生きる意味が見えてくるのではないだろうか。


[1] 地図でスッと頭に入る世界の三大宗教 監修:保坂俊司

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