アート

ボッティチェリ

300年余り忘れ去られていた天才画家ボッティチェリ

ボッティチェリ(1445年~1510年)は、イタリアのフィレンツェに生まれました。

ボッティチェリというのは樽という意味で、大酒のみの兄が樽のような体系をしていたことから 付けられたあだ名でした。ボッティチェリの描いた「プリマベーラ」や「ビーナス誕生」今となっては、 観たことがないという人がいないくらい有名なこの作品ですが、 驚いたことに、ボッティチェリは16~19世紀の間、約300年間忘れ去られた画家でした。

代表的な作品

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15才になった ボッティチェリ は、当時フィレンツェで1番と言われていたフィリポリッピという画家の工房に弟子入りします。ボッティチェリの師匠となったフィリッポリッピは、なんとも破天荒な人物でしたが、工房で師匠に可愛がられ、めきめきと実力をつけていきました。最初は師匠の模写に徹していたボッティチェリでしたが、徐々にアレンジを加えるようになり、聖母子の絵では師匠より、立体的な表現をするようになってきました。

その後、ベロッキオの助手になり、この頃描いた絵で知られているのが「薔薇園の聖母」です。優しく面倒見のいい親方ベロッキオの営む工房は、依頼のあるものは何でも作る「なんでも屋」で、そこでもボッティチェリは、腕を磨いていきます。やがて、そのベロッキオ工房に、あの天才画家が入って来ました。 ボッティチェリの7才年下でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチです。

レオナルドはボッティチェリの絵の影響を少なからず受けながら、時に批判しながらも、切磋琢磨し、生涯に渡ってよい関係を築きました。

ベロッキオ工房で仕上げた「剛毅(ごうき)」は、ボッティチェリのデビュー作です。剛毅とは「ひるまない」という意味で、この作品は、その擬人像を描いたものです。大理石でできた玉座に座り、強い決断力を感じさせる表情で、手には指揮棒を持っています。 くっきりとした衣のシワが描かれている描写からは、師でもあり、彫刻を得意としていた ベロッキオの影響が感じられます。

28才の時、ボッティチェリは遂に独立。助手は最初の師であるフィリッポリッピの息子でした。この頃描いた作品としては、「聖セバステアヌス」は、腰布だけを巻き柱に縛り付けられた 姿でよく描かれています。

独立して数年後、ボッティチェリが30代の時、ピザの斜塔で有名な大聖堂の壁画の依頼が来ましたが、彼はそれを途中で放置しています。この頃、銀行業で財を築いていたメディチ家のソレントと仲が良く、頻繁に遊びに行っていたので、仕事より遊びを選んでしまったのかもしれません。

1478年 ボッティチェリが34才の時、事件が起こります。
かつてより親しくしていたソレントの弟が陰謀によって暗殺されてしまい、この暗殺には教皇が関わっており、フィレンツェを巻き込む大騒動になりました。

約3年間、暗い時代を経たのち、ソレントの従妹の結婚が決まり、 そのお祝いとして寝室の絵をボッティチェリが描くことになりました。それが、あの有名な「プリマベーラ」という作品です。

プリマベーラは別名「春」春に関係する神話の神や妖精が登場しています。中央にはヴィーナスが美しい服を着た姿で描かれています。 背景の木々はヴィーナスの後光のように描かれており、 ボッティチェリが宗教画に影響を受けていたことがわかります。ちなみに、この絵の樹は、メディチ家を象徴とするオレンジの樹で、 その他にも502種類以上の植物が描かれているそうです。

画面右には、青白く羽根の生えた男が女性を連れ去ろうとしています。これは、西風の神ゼピュロスと誘拐されたクローリスです。樹木の妖精であるクローリスに、春を告げる西風の神ゼピュロスは、一目惚れし、彼女につきまとって力づくで連れ去りました。ゼピュロスは自分の行いを後悔し、その償いとして神にクローリスを妖精という立場から女神に昇格させるようお願いします。そして、クローリスは花の女神「フローラ」へと姿を変え、その口からは花々があふれ出て、それ以来、世界はさまざまな色彩であふれるようになったということになっています。

今度は、画面左に描かれた優雅に踊っているのは「3美神」と呼ばれる女神です。
ギリシャ神話に登場する全能の神ゼウスの娘達。あるいは、美の女神アフロディーテと 酒の神ディオニュソスとの間にできた娘とも言われています。 この絵では3人組で描かれていますが、神話の中ではカリスと呼ばれる集団で扱われているため、本来、彼女らの姿は特に決められていません。ただし、プリマベーラのように、3美神として登場する時には「魅力」「美貌」「創造力」 をつかさどるか、「愛」「貞潔」「美」をつかさどるということになっています。

花々の森で舞い踊る3美神と美と愛の女神ヴィーナス、ヴィーナスの子供でいたずらな恋のキューピット、 が、目隠しされた「貞潔の女神」に矢を絞っていて、愛の盲目さを象徴しています。左端では、旅人の守護神ヘルメスが、魔法の杖で冬の到来を防いでいるのが見えます。春や愛に関係する人々が描かれているというのがよくわかる作品です。

そのあと、ボッティチェリは、ダンテがキリスト教の価値観に基づいて作った冒険物語、「神曲の図解」に取り組みます。

多くの人々が神曲で語られたイメージができるようにと取り組んだこの事業は、
思いのほか時間がかかり、絵画制作という本業が疎かになってしまったため、
収入が途絶え、生活に支障をきたすことさえありました。神曲の挿絵としてボッティチェリが描いたものとしては、ダンテの肖像、地獄全図が有名です。

この地獄全図は神曲の中で描かれた地獄の構造を現したものです。
地獄は9層で構成されており、下に行けば行くほど、受ける罰が重くなっていきます。

37才の頃、ローマのシステーナ礼拝堂の壁画を描くことになりました。この頃「キリストの誘惑」「モーゼの試練」を描いています。41才になったボッティチェリにメディチ家当主が絵を依頼しました。それが有名な「ヴィーナス誕生」です。

海から生まれたヴィーナスを西風の神ゼピュロスが風で岸の方に押しています。ゼピュロスに抱き着いているのは、プリマベーラでも登場したフローラ。右の方でヴィーナスに衣を掛けようとしているのは、季節をつかさどる女神の1人です。メディチ家当主は、この絵を別荘に飾るために依頼したのでした。

65才の時、画家としての生涯の幕を下ろし他界。

それから何世紀もボッティチェリは、世間から忘れ去られていましたが、19世紀、美術学生のグループに評価され、再度注目されるようになり現在に至ります。ボッティチェリの作品のほとんどは、故郷フィレンツェのある美術館に貯蔵されています。

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