哲学

坐禅はどんな効果がある? 心を穏やかにして自分を見つめる

坐禅というと、足のしびれる厳しい修行のイメージがあるかもしれない。しかし実際は、心身を「楽」にすることが目的で、人生を幸福感で満たしていけるとしたら、どうだろうか。

坐禅を行うと、心身にどのような効果があるのだろうか? 忙しい日常のなか、自分自身の心をあるがままに受け止める時間をもつことが難しいからこそ、坐禅の考え方を知り、実践を通してよりよい人生の意味を見出していこう。[1]

禅の基本マインドを知ろう

思いやり・分かち合い・共感・非差別の気持ちからスタートする

坐禅は、禅宗の行のひとつ。心身ともに安楽な状態になることで、自分という存在が「安らかで幸せなひとつの流れ」の中にあると自覚する悟りの境地に至ることを目指すものだ。

仏法の教えに照らし合わせると、坐禅は座っているときだけの一時的なものではなく、日常生活にも影響を与える生き方そのものと言える。坐禅の考え方を日常に取り入れることで、悟りの状態に近づくものだ。

その基本の考え方のひとつに、「四無量心(しむりょうしん)」がある。無量という言葉は「感無量」などと使われることで馴染みがあるが、「量ることができないほど多い」という意味だ。四無量心は、具体的には「慈悲喜捨(じひきしゃ)」という四文字の漢字で表される。

それぞれ、以下の通りの意味がある。
・慈……慈愛心
・悲……同情心
・喜……肯定心
・捨……無執着心。非差別。

四無量心は「大悲心」ともいわれ、最も大切なのは「捨」とされている。差別心を捨てるところから幸せな世界が始まるとされている。差別する心を捨て、自分を否定せず、ありのままに物事を見る。そして思いやりをもち、苦しみや悲しみを分かち合う同情の心を持つ。それが禅の基本マインドだ。

自分だけが悟りに至るのではなく他者を救おうと誓う「功誓願(ぐせいがん)」

また坐禅は、自分自身だけが悟りに至ることを目的としていない。悟りに至ることで「すべての存在を分け隔てなく救うと決心し、実践する」という意味の「衆生無辺誓願度」という誓いを立てる。

なかなか壮大な誓いなので、達成することは難しい。しかし、坐禅を行う上で知っておきたい仏教用語だ。それに、自分自身の体と心が整えば、自然と人と接する心も広くなる。心と体は分かちがたく関係しており、坐禅は身体感覚を整えることで、心を整えていく道でもある。

そもそも心身が整うとはどういう状態か?

体、呼吸、心を整える

禅では「調身・調息・調心」といって、健康な状態を体と呼吸、そして心が調(ととの)った状態になることだとしている。

体と呼吸、心は深く結びつき、影響しあっている。そのため、健康とは3つ全てが満ち足りた状態になってはじめて成立するといえる。

病気はしてないからといって健康、というわけではない。疲れていたり心配事があったりするのは、禅の考えでいくと健康ではないのだ。

逆に、体を調え、呼吸を調えることで心を調えることができる。坐禅は安定する姿勢で楽に座り、深い呼吸を行うので、心の安楽にもつながる。

坐禅を体験してみよう!無になる時間にトライ

まずは厚めの座布団・クッションを準備

坐禅の行い方は、「坐禅儀」という書物に簡潔にまとまっている。

19節からなる内容から、かいつまんでご紹介しよう。現代語訳の載っている書籍もあるので興味のある方は、ぜひ読んでみてほしい。

1.坐禅マインドを忘れずに
すべてのものを差別せず、思いやりを持ち肯定する気持ちを持つことを思い出してほしい。自分だけのために悟りにいたって楽になろうとしないことも大切だ。
また、自分の感覚と心の調え方を学ぼうとすること。飲食や睡眠を適度にとることなど、心地よい坐禅に向けて、心と体を準備して臨もう。

2.坐禅を始める直前の準備
坐禅をする場所は、必ずしもお寺でなくていい。ただ、静かな場所を選ぶことが必要だ。
曹洞宗では壁に向かって座るので、オープンな場所より室内がいいだろう。

また、体の下に敷くための、厚めの座布団かクッションを用意する。一般的に僧侶が修行する際は座布(ざぶ)と呼ばれるかなり分厚い座布団を使うが、家にあるもので代用しよう。
服装はゆったりと締め付けがないものを選ぶ。作務衣やヨガウェアなどが適しているだろう。

坐禅の心地よさを体感できるように、ぜひ実践してほしい。

3.坐禅の姿勢
仏像などを思い浮かべるとわかりやすいが、坐禅をするときは足を組む。左太腿に右足を乗せ、右太腿に左足を乗せる。このポーズを「結跏趺坐(けっかふざ」という。体が痛い人は、左太腿に右足を乗せるだけの半跏趺坐(はんかふざ)でもいい。

右手は、力を抜いて自然にすぼんだ形で体の正面、組んだ足の上に乗せる。同様に左手も半分重ねるように乗せ、左右の手の親指を触れるか触れないか程度に合わせる。

下半身が安定した状態になり、上半身が力の抜けたいい状態になっているだろうか。
このあと少しずつ前後左右にゆらゆらと優しく揺れてみる。徐々に揺れを収めて、やがて止める。
その際、体の心地よさがあれば受け止める。

姿勢はまっすぐだが、胸を張りすぎてもいけない。臍と鼻先を結んだラインと、耳と肩の中心を結んだラインが、地面に対して垂直になるようにし、口は軽く閉じる。微笑みを浮かべた表情で、目はつぶらない。

4.坐禅の間の心
よく、「心を無にする」などというが、坐禅中は、姿勢を調え、呼吸を調えたなかで感じられた自分という存在を、真摯に受け止める。

自分の内側に湧きおこったものをすべて肯定していくと、仏教的な想念に包まれていく。安らかで幸せな流れのなかにあることがわかり、心が落ち着いていく。

心の中が真っ白になり、何かを考えているという意識すらなくなるのが「無」だ。心地よく穏やかな自分と自分の周りが宇宙の果てまで、あらゆる時空にもつながっていくのを感じることができる。

5.坐禅を終える
坐禅を終える場合は、体を少しずつ動かし、心地よさを感じ続けたまま立ち上がる。そして坐禅のあとの生活にも、坐禅によって得られた心地よさを、他の人にも思いやりを持って与えられるように過ごす。

日常生活のなかで取り入れられる禅の行

呼吸をコントロールしてみよう。「欠気一息(かんきいっそく)」

坐禅をしてみたいと思っても、日常生活ではなかなか静かな時間に長時間留まれる機会は少ない。そんな場合は、短い時間で気持ちをリフレッシュできる「欠気一息」がおすすめだ。「自発的にあくびをつくりだす」のが目的で、行い方はとても簡単。

まず息を大きく吸い、吸いきったところで息を止める。そしてゆるやかに長く息を吐いていく。

できれば、座り心地のいい椅子などに座り、姿勢を正して行うのがよい。
呼吸は吸うときに交感神経が高まり、吐くときに副交感神経が高まる。交感神経を刺激したのちに、副交感神経に働きかけることで、リラックス効果が期待できる。ぜひ心落ち着かせたいときに、試してみてほしい。

「喫茶去(きっさこ)」で五感と心を最大限に使うティータイム

禅のことばの「喫茶去」は、「お茶でもどうぞ」という意味だ。しかし、そこには、お茶と自分、またお茶の席を共にする人との大切な縁で築かれた世界がある。お茶を飲むという何気ない行為を大切に丁寧に味わうことで、日常に安らぎが生まれる。

お茶を飲むとき、お茶に映った自分を見て、お茶の香りを嗅ぎ、湯気の温かさ、ひと口目の熱さを感じ、のどの奥へ流れていく様子を感じる。それらを意識して行うのではなく、ひとつの流れに沿って、ありのままに感じ、受け止めていく。

この流れが、より詳細に、幾通りかの型となっているのが茶道だ。茶道は禅宗から多くの影響を受けており、禅の心を実践できる機会を与えてくれる。
茶道はハードルが高いと思う人は、朝や夜、1日1杯の「喫茶去」を行ってみてはどうだろうか。お茶でなくコーヒーでもいい。一服を味わう心地よさを丁寧に感じることで、「ああ、今日も生きていてよかった」という気持ちに繋がっていくだろう。

坐禅は心と体を安らぎへと導き、幸福な生活の入口となる

元気がなかったり、心が不安定になったり、イライラするときは、体の不調が大きく関係していることも多い。どこかが痛いのに放置していたり、疲れを取る暇もなかったりと、体をおざなりにしてしまうこともあるだろう。

坐禅はそんな私たちに、体を安楽にすることで心を落ち着かせ、呼吸を調えることでリラックスできることを教えてくれる。体の内側に心があり、心の内側に、自分も知らなかった感覚が隠れている。すべての感覚をありのままに受け止め、肯定できたとき、他者との接し方も変わり、より幸福な生き方を続けられるようになる。

人生には忙しい時期や辛い時期もあるだろう。落ち込み、立ち止まって動けなくなることもある。それはそれでいいのである。ただ、幸せな人生の入口は、自分を慈しみ、肯定することから始まるのだということを思い出せれば、少しずつ体と心を調えていけるのではないだろうか。

自分自身と向き合う禅の考え方を知ることで、自分自身を生きることができる。また、他者のことも分け隔てなく思いやりを持って向き合える。自分と他者、そして果てしなく広がる世界が繋がる感覚のなかで、あなたの命はより輝きを放つことだろう。


[1] 「幸せになる坐禅 誰でも5分でできる脱ストレス禅セラピー」藤井隆英(海竜社)

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