フランスの印象派画家で、長きに渡り4000点もの作品を世に残したピエール=オーギュスト・ルノワール。
ピエール=オーギュスト・ルノワールは印象派に分類されるフランス人画家。後に作風が変化したこともありポスト印象派とされることもある。
作品数の多さが特徴的で生涯をかけて芸術作品の制作に没頭した。
日本でも美術に興味のある方なら一度はルノワールという名前は聞いたことがあるのではないだろうか。
代表的な作品
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ピエール=オーギュスト・ルノワールはフランスの印象派画家で、1814年に生まれた。生家は貧しい仕立て屋を営んでおり、パリに移住後13歳で磁器の絵付け職人に弟子入り。磁器職人が失業した後は扇子の装飾などをして生計を立てていた。
そして20歳の時、ついに画家になることを決意する。シャルル・グレースに弟子入りすることに。ここではモネ・バジール・シスレーなどの錚々たるメンバーが在籍していた。
1864年に生涯初入選をきっかけにそれ以降才能を発揮。入船を繰り返すことに。
しかしその後、サロンから独立したグループ展を開催するもこれが不評。厳しい評価を受けることとなる。
36歳の時に「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」を出店するもまたもや酷評にさらされることとなる。世間的には失敗していたがこの頃よりルノワールの才能を見抜き、愛好家となるものも出始めている。
晩年はこれまでのアングル風を脱却し、女性の裸体を温かいタッチで描くことが多く、高評価を得ている。政府買い上げとなった「ピアノに寄る少女たち」は代表作と言っても過言ではない。
リウマチに悩まされたが、病気に負けることなく最後まで制作活動に情熱を注いでいた。多くの作品を残した彼は世界で指折りの画家の一人と呼べるだろう。
意外なエピソードとして、ルノワールは若かりし頃は扇子の装飾などの仕事にもついていたようだ。
仕事を選べる状況ではなかったにしろ、扇子の装飾や磁器の絵付けなどの美術分野の仕事についているということはやはり幼い頃から興味があったようだ。
また、29歳の時に普仏戦争が起こった際にはスパイと間違えられて一時拘束されてという逸話も残っている。この頃のパリはパリ・コミューンの動乱で揺れていた為こうした間違いも多かったのだろう。
誤解が解けていなければのちの名作も世の中に出なかったわけである為、意外にもここが彼の人生のターニングポイントだったのかもしれない。